もちもちした犬

おもに日記のようなものを書きます。

【2025年10月】ゴールデントライアングルを歩く

タイ、ミャンマーラオスの交わるゴールデントライアングル(黄金の三角地帯)。昔から麻薬や人身売買などの犯罪が絶えない場所であり、今なお詐欺集団などの拠点が存在する場所として恐れられている。

そして私もまたブルっていた。しかし、「せっかくやし見に行ったろ!」というケーハクなノリでラオス側の「ゴールデントライアングル経済特区」に日帰りで行ってきた。

これから行く予定がある人の参考になれば幸いです(行かないで)。ちなみに2025年10月現在だと、タイバーツ×5=日本円くらいとかなり厳しく、円安が憎い。

ラオス・ゴールデントライアングル経済特区とは

https://maps.app.goo.gl/hsvfUcEL1x56YCSMA


ご存知の方も多いだろう。タイやミャンマーと接するラオス・ボケオ県の一部地域は、現在「金三角経済特区(ゴールデントライアングル経済特区)」として開発されている。

2000年代に中国の企業集団(実際はマフィア)が出資した都市造営が開始され、ラオス政府と99年の契約を結んだというから実質的には中国の租借地だ。人民元が流通し、中国の国内ナンバーの車が往来している。

ばかでかいビルが立ち並ぶ様子はマカオさながらであり、表向きはIRリゾートのような雰囲気だが、あらゆる悪事がおこなわれているという黒い噂が絶えない。

まあ一日行ったくらいで何がわかるでもないが、調査でタイ北部にいるのでちょっと見に行くことにした。

タイからの行き方

タイから行く場合、チェンセーンという町から船で行くことになる。

  • チェンセーン~ゴールデントライアングル経済特区:船 ひとり100バーツ

私は前日タイとミャンマーの国境の町、メーサイに泊まっていたので、そこから配車アプリGrabを用いて移動してきた。30キロもないので3,40分で到着できる。

Grab上では250バーツ程度となっていたが、運転手が結構ごねるので結局400バーツ(約2000円)となってしまった。一人目の運転手は500バーツと吹っ掛けてきたので、こちらから断ってしまった。Grabは自動的に別の運転手があてがわれるシステムなのだが、二人目は中国語が話せたので、もうこの人でいいかと妥協。

※なお、メーサイだとソンテウ(トラックの荷台が改造された乗り合いバス)なら数十バーツで行けるらしいが時間もまちまちだし国境のほうに近い場所から出るので、自分はやめておきました。

しかし運転手は面白い人で、「中国は覇権主義国家でこの辺をほとんど仕切っている」「国の指導者が悪いと絶対に犯罪もアヘンもなくなることはない」「世界中どこの国も貧困から犯罪が生まれる」などの名言が聞けた。この人は華人ではないそうだが、メーサイにずっと育っていたため中国語、ミャンマー語、アカ族など少数民族の言語が自然とできるようになったのだという。

彼にいろいろ聞いたところ、ラオスに行くのも別に危険ではないが向こうは犯罪者が仕切っていると明言した。

 

チェンセーンに到着すると、いくつもボートの案内があるがそれらは遊覧船である。まずイミグレに向かう。

イミグレの建物

「No one day trip, No visa run」みたいなことが書かれており、日帰りの計画が早くも崩れそうになった。前に来ていたロシア語話者の老夫婦がカウンターで「ノー!ワンデーノー!」と言われていたのでこりゃだめかもわからんね。

しかし、よく読んでみればちゃんと旅程や帰りの航空券持ってさえいれば問題なさそうで、とりあえず突入することに。結果、なんだかネチネチと飛行機とホテルの名前をチェックされたものの、とりあえずスタンプをゲット。出ていくとすぐ船がある。

行きは100バーツを支払った。むこうで働いているっぽい女性ひとりと、先の老夫婦(結局行けたのか)と一緒に乗船することになった。

乗船

濁流のようなメコン川を、細長いモーターボートで渡る。水面も近くスリルはあった。とはいえ水しぶきがめちゃくちゃかかるとかもなく、すぐにラオスに到着。なんともあっけない。

 

ラオス入国

ラオス側のイミグレ

さきの労働者風の女性は、船が着くや否や、入境手続きなしにゲートを飛び越えてそのまま出ていった。自分は日本のパスポートを見せると荷物検査なしでパスポートチェックに回され、入国カードを記入してあっさりと入ることができた(ロシア人夫妻は別の側に回され、全然出てこなかった)。

ネットではここでいろいろ尋問されただの40バーツだか100バーツだから取られただのみたいな話もあったがそういうことはなかった。平日の昼間だからだろうか、ほかには全然人もおらず、中国人でごった返すみたいなこともない。

イミグレ抜けるとすぐに観光案内のカウンターと、タイバーツ、人民元ラオスキープの引き出せるATMがあった。しかし私のカードでは人民元を引き出すことはできなかった(ちゃんとJCB対応と書いてあるのに!)。

カウンターの人に聞くと、「この辺はタイバーツでもいけるから大丈夫ですよ」とのこと。しかたなく人民元なしで過ごすことにした。ちなみに中心部(カジノのある場所)とここは2キロ超離れている。くそ暑いなかそんな歩くのは嫌すぎるので、乗り物を使うことにする。

これが移動手段らしい

巡回しているのはこの乗り物だけっぽいが、これもどうやら人数そろわないと動かない方式のようだ。ひとり150バーツ。もし人が来ない場合は4人分払えばいいのだとか。

カウンターに再び戻って相談すると、前にたむろしているおっさんたちがタクシーの運転手なのだという。直に交渉して乗せてもらうしかないとのこと。

おっさんたちはタイ人とラオス人で、英語はできないが中国語はできるよ、という。交渉した結果、2時間この特区をいろいろ回ってまたイミグレに戻るというプランで400バーツ(約2000円)ということになった。やや高いが、よくわからない中国人のバンなんかに乗ったらそのまま拉致されてかけ子にされたり殺されたりするかも、なんて思ったのでこれで手を打つ。

市内の様子

トゥクトゥクに乗ってまずついたのは、「唐人街(チャイナタウン)」というエリア。そのままというか全部がそうだろというのはさておき、立派な中国寺院があった。

お寺

その脇には美食街というのがあったが、店は開いていない。中東系の顔立ちをした男たちが、空きテナントのなかでスマホをいじって休憩していた。

唐人街は偽物か本物か不明なKFCがあるとのことだったが、はたして存在した。ちゃんと営業しているし、一応finger lickin' goodと書かれている。しかし、Kentucky Fried Chickenではない別のKFCである可能性もある。

KFC

そしてその向かいにはかの有名なカジノ施設、Kapok Star Hotelの高楼が屹立する。

Kapok Star Hotel

くの字に曲がったつくりはラスベガスのマンダレイ・ベイの真似かもしれない。しかしながら圧倒的な存在感を発揮しており、この地のランドマークとなっている。

入るとまず保安検査がおこなわれ、荷物やポケット、財布の中身まであらわれる羽目に。イミグレより厳密であった。

撮影禁止となっていたため写真はないが、カジノもしょぼくれていた。バカラなどのテーブルも全然埋まっておらず、コインゲームの椅子でスマホをいじっている労働者が目立った。以前、サイパンの中国カジノを覗いたことがあったが、そっちのほうがまだ栄えていた気がする。

ブランドものなどを売るショッピングコーナーもほとんど閉まっており、開いていた店も店員がカウンターで寝ているというざま。店員はほとんどがおそらくラオス人やミャンマー人だが、彼らは基本中国語で話す。おそらく英語はできない様子であった。

いてもしかたないので、ものの数分でカジノを去った。

とはいえ、この辺はどうやらカジノが複数あるわけではなさそうだ。とりあえず近辺を見てみることにする。

まるでテーマパークに来たみたいだぜ テンション上がるなぁ~(棒)

ディズニーやUSJと見まがうばかりのファンシーな建物が立ち並ぶ。

しかし、多くのYoutuberやライターなどがすでに言っているように、これらのほとんどは風俗店だという。とはいえ、見たところ完全に閉業しているように見える。昼間に来たからやっていないのでは?というのもそうだが、周辺含めあきらかな廃墟感が漂っている。聞いたところちょっと前から中国人の出入りが激減したという話もあり、それが影響しているのかもしれない。

 

ファンシーな目抜き通りから一筋入ると、一気に中国の小鎮といった趣になる。

怪しい建物がたくさん

ホテル以外にも高層マンションが立ち並ぶが、どれも生活感が希薄だ。中で詐欺集団が電話をかけまくっているのかもしれない……などと想像をたくましくしてしまう。

トゥクトゥクに戻り、運転手に「どっかなんかほかに見るとこないの?」というと南のほうにつれていってくれた。その道のりにも廃墟やいわゆる「爤尾楼(完成しないまま放置されてる建物)」が目立つ。

お土産コーナー

降ろされたのはお土産コーナーであった。売っているものはだいたいタイ側と同じなので実際買うべきものはないといえる。しかし、ラオス製の布とラオスのたばこを購入した。聞いた話ではゴールデントライアングル経済特区ではほとんど人民元だということだったが、こういうところでは全然タイバーツで通用した(もしかすると中国人が激減したせいで変わった可能性もある)。

なぜか日本の切手があった

舞踊の練習をしている人たち

こうやって物見遊山した感じだと、カジノ以外ほとんど潰れていると言っても過言ではない。カジノすら客の入りが悪いのだから、相当厳しいのではないだろうか。

歩いていたのはほとんどが労働者かタイ人や白人の客で、中国人らしい人はあまり見かけなかった。労働者もラオスミャンマーに限らず、先述のように中東系の人や黒人もいた。飯は食べてないが、以前ネットにあったようにサルやらトラやらを出してくれるすごいレストランは見つけられなかった。ただ、マッサージ屋かなんかの軒先にサルを見かけた時はびっくりした。

おさる

籠に入ったサルとは、まさにここに囚われている人々そのものである。自分もまたこのサルのようにここに閉じ込められてしまうのではないか、などと勝手に想像してしまった。

 

しかし、トゥクトゥクは無事に再びイミグレまで連れていってくれた。こうして何事もなくラオスを去ることになった。

 

ラオスから出国

  • 出国カウンターで謎の40バーツ徴収
  • ゴールデントライアングル経済特区~チェンセーン:船 ひとり100バーツ

ラオスから出る時は、行きで記入したカードの片割れとパスポートを渡せばよい。しかし、ここで謎の40バーツの徴収が発生した。ネットではごねれば渡さないで済むだとか書いてあったが、Why?為什麼?なんて言ってみたところで通用せず。おとなしく支払いました。

ボートは行きと同じく100バーツ。

チケット

生きて帰れることに感謝

無事に出国できたので、心に余裕がある。メコン川雄大さが行きよりもはっきりと感じられる。タイ側の大仏さんが本当に神々しく見える。

タイの大仏さん(陸から撮影)

船が沈没することもなく、そのまま到着。タイではアライバルカードをオンラインで申請しておかなければいけないので、上陸するとまずそれを記入する。これがまあまあ面倒である。

カウンターでは再びいろいろと聞かれて難儀した。私は今回がはじめてのタイな上に、帰りの飛行機も今日の宿もはっきりしているので、だらだら質問されたもののちゃんと入国できた。短期間に複数回タイに行っていたりするとビザランを疑われて別室送りになる可能性が高いという。

 

まあ結論としては、ゴールデントライアングル経済特区は(もはや)大して見るべきもののある場所ではなかった。そこに金を落とすことも決して褒められた行為ではないだろうし、行かないのが正解である。

とはいえ、危なそうな場所に行ってみたいという気持ちは誰にでもあるはずだ。これからこの地域は、どんどん廃墟化していく可能性も結構ある。危険さを帯びたうさん臭い場所が持つ、得も言われぬ魅力というのは否定しがたい。とはいえ別にもう行かなくていいかな。

完全にこれ

ゴールデントライアングルは、現時点でミャンマーは入ることが難しく、ラオスも変な感じなのでタイ側だけがまっとうに観光化できている。

ちなみにここにはアヘンの博物館が2つも存在している。チェンセーンのイミグレから近いほうにだけ行ったが、これは結構すごかった。

近くのタイ寺院には、日本の戦没者慰霊碑もあった。

チェンセーン自体はまあ観光しても楽しいのではないかと思いました(おわり)。

リアルな蝋人形

ゴールデントライアングル

朝から何も食べてないことに気づき、ビールとカレーを流し込んだ

 

 

 

 

 

 

 

台湾の老人カラオケ

鬱がひどく、酒を飲みしょうもないツイートをしながら寝落ちしていたが、フィールドにいるとそんなことおかまいなしにイベントが発生する。今日は、調査地の人たちに朝からカラオケに連れていかれ、午前中から午後5時まで歌うことになった。台湾のカラオケと一口に言っても、大人数で行く大きな会場であったり、日本のようなカラオケボックスであったり、キャバクラ的なKTVだったりと実態はさまざまだ。

今回行ったのは地元の中高年のたまり場的カラオケ(仮に老人カラオケと呼ぶ)である。実は先日も別の人に連れられてこうした店に来たばかりであるが、場所によって雰囲気やシステムはちょっと違うよう。時間制など詳しいことは店によるが、特に時間など決めず入店して一人当たり100元~150元くらい+飲食代金という感じだ。

先日の店も今日の店も、一見するとそれがまさか営業中の店とはわからないようになっている。表からは何も見えない状態で、閉店したスナックかなんかにしか見えない。沖縄のゲーム喫茶(花札やマシンの賭博が横行していて外から見えないようになっている)にも似た雰囲気のアングラ感だ。もしかすると中でマージャンや博打でもするのかもしれない。

前回行った場所。今回の場所も雰囲気はあまり変わんない

中はダンスホール的なフロア、ひかえめながらもカラフルに光る照明が用意されていて、いくつか座席テーブルがある。客の老人たちは地元の常連客で、昼から酒を飲んだり茶をしばいたりしている。

調査地のおばさんたちは、各自持ち寄ったおかずやおかしをテーブルにどんどん出し、持参したお茶を淹れて飲んでいた。この前の店は注文して軽食が出てくるというタイプだったので、この辺もまちまちだろう。

台湾のこういうタイプの店に置かれているカラオケ機はデンモクではなく、番号を本から探す懐かしいタイプである(私は平成ヒトケタ生まれなので日本でもギリギリ見たことがある)。それを机においてある紙切れにメモって店のおじさんに渡し、入力してもらう。ここでは何曲か書いて渡しても1曲交代だったが、先日の店は続けて歌う形式であった。おばさんたちはどんどん歌を入れて歌いまくる。横のテーブルにいたおじさんたちもガンガン歌う。そして社交ダンスみたいなこともやってる。

なんか歌えよということで私も曲を入れる。「せっかくだし日本語歌え」と言われ見てみるも……新しいのもせいぜい夜桜お七という非常にレトロなラインナップ。なぜか「釜山港へ帰れ」を歌った。状況に体がついていかないが、とりあえずビール(びん1本100元)を注文し、気持ちをつくっていった。

酒を飲むときはひとりで飲むのではなく、酒を持っている人に対しての声掛け(乾杯!など)をして一緒のペースで飲み進めることになる。横のおじさんは高粱酒でべろべろになっており、おまえ日本人か?と話しかけてきた。いわく、彼の親は日本時代に教育を受けた世代で日本はよかったといつも言っているという。日本很棒!みたいな語りは、日ごろ外省人とかかわっていることもあり、なかなか新鮮である。

カラオケではフィールドの人(外省人や新住民にあたる)もだいたい台語演歌や華語の古い歌を歌っている。とりあえず自分も促されるままに、華語や台語などで知ってる曲を入れた。まあそれなりによかったと思ったのだが、先のおじさんにふたたび「日本語が聞きたい」と言われる。

数少ない日本語曲から選んだのが「俺ら東京さ行ぐだ」であった。これが思いのほか盛り上がり、おばさんおじさん全員が踊っていた。なんか恐縮してしまった。台湾のはずれのカラオケで「カラオケはあるけれど かける機械を見だごとァ無ェ」と歌う日が来るとは。

何時間も歌って食って飲んで踊ってを続けるおじさんおばさんたち。台湾のいたるところでこうした光景が毎日繰り広げられているのだろう。

 

帰国

5月の祭りなどの記事を書こうと思っていたのに、時間もなく気分も乗らず放置しっぱなしになっていました。まあ、そのうちなにか書こうと思います。

 

 

さて、6月の後半で交換留学が終わりとなり、京都に戻ってきた。

退寮の手続きは面倒だったが、その前日まで何も準備していなかった。というか暇がなかったのだ。毎日深夜にフィールドから戻り、洗濯したりゲームしたりネット見たりして寝る。起きてからは文献を漁ったりコピーしたりして夜にはまたフィールドに行き……の繰り返しであった。

いろいろ面倒ごとがあり大変だったが、どうにか日本に降り立った。関空も桃園もたいして違わない。〈非・場所〉というのはそういうことなんだろうか。クソ重い荷物を拾い上げ、高速バスに乗る。疲労でうとうとしているうちに、自分が台北から新竹に向かっているのか、関空から出町に向かっているのかわからなくなっていた。出町柳で降りると運転手がヘコヘコと「ありがとうございました」と言い、ああ、日本なんだなここは、と実感する。とんでもなく重たいトランクを2つ曳きながら歩くと家が死ぬほど遠い。ばんえい競馬状態で、進んでは止まりを繰り返しつつ歩いた。

自分がいない間にも京都の時間は進んでいた。知らない店が出来ていたり、知っている店が潰れたりしている。自分の居場所はもうないのかもしれない。

ほうほうのていで下宿に戻ると、時が止まっていた。幸い最悪の生き物の巣にはなっていなかったが、ぐちゃぐちゃに本が積まれ、荷解きをする場所もない。

日本に帰ってから最初に食べたのは、結局ペヤングだった。ソース味のものを久しく食べていなかったので、めちゃくちゃうまい気がした。

自分のフィールドは大学から結構な距離があり、乗り換えの時間なども含めると片道2時間程度かかる。最近は毎日夕方から夜にかけてその土地に通っていたので大変だった。もともと夜型の生活をしていたのでその点ではよかったが、普通に午前中は寝て過ごすことも多かった。

毎日フィールドで何をするのかというと、踊りの稽古である。自分の親くらいの年齢のご婦人たちと一緒になって踊りの練習をするのだ。それなりに可愛がってもらえたのは幸いだったが、やはり「なんでこんなことを?」という気持ちは最後までぬぐえなかった。

調査開始時は、この土地の人の、特に政治的なトピックや歴史について知りたいと思っていたのだが、フィールドワーカーがまずやるべきことはラポール関係の構築だ。自分の語学力は最悪なので、とりあえず踊りの団体に参与し、ある程度馴染んでからもろもろの聞き取りをおこなった(時には筆談をまじえたり、日本語がちょっとわかる人には日本語を使ったりもして、どうにか情報や語りを得た)。もちろん踊りや歌、楽器についても記録したり文献を漁ったりはしているが、どうもその方向で論文を書くエネルギーも力量もない。祭りの運営への参加や行事の出席などを通じて、顔や名前を覚えてもらうことができた。同時に自分も構成員のことを覚えていった。

毎日毎日単調に同じようなことをやっていったが、それでも変化や新しい発見はある。その蓄積を記録していたのだが、今見返すとしょうもないことばかり書いているように見える。これをどう論文やらなんやらにしていくかは今後の課題である。

 

比較的長期のフィールドワークは絶望的な時間であり、無実なのに懲役刑にされたような気持ちであった。正直、何のためにこんな苦労を強いられているのかと苦悶するばかりで、ほぼ鬱になっていたのだが、まだ帰国してそうそう日も経たぬうちに、なにか素晴らしい思い出であったかのような気がしている。喉元過ぎればなんとやらである。

フィールドの人には本当に良くしてもらったし、そう長い滞在はしないにせよ、また戻ることになるだろう。

いまこうしている間にも、フィールドの人々のライングループが動く。向こうでは自分がいない日常が動いている。『犬夜叉』の登場人物は、井戸を通じて戦国時代と現代を行き来し、二重の世界を生きていた。フィールドワーカーというのはそれに近いものなのかもしれない。あちらの日常とつながり続けることは、研究を続けなければならないひとつの理由にもなるだろうし、ある種のくびきともなる。院なんかさっさと辞めて全部から逃げたいがそうもいかない。とりあえずやるべきことをやらないといけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

山奥で雲南料理を食べて踊る

雲南の踊りの団体の理事長から、明日土地公に参りに行くので朝から来なね?と言われた。あいにく、その日の朝には同じ会の別の偉い人にインタビューの約束をしていたのだが、その先生にその話をすると、時間前倒しでインタビューをおこなってそのあと土地公まで送ってもらえることになった。それはいいとして、8時半に桃園のはずれにあるこの集落までくるためには、6時前には寮をでなくてはならない。なのにその日の踊りの練習は9時半くらいに終わったので、電車で大学まで戻ると日付の変わるころに到着する。結構厳しい。ということで台北に一泊してくることにした(近所には全くと言っていいほど空きのホテルがなかった)。

 

あくる朝、案の定全然眠れないまま当集落に到着した。

いつもだいたい昼過ぎから夜に来るので、朝の市場の賑わいは新鮮だ。まあ、日曜日だからというのもあるだろうが観光客や地元の人で朝から活気がある。

肉、野菜、鮮魚、きのこ、料理、などなど。見たことないものもたくさんある。東南アジア華人を中心とした個性的な市場になっている。

 

それから2時間ほど、へたくそな中国語でインタビューともつかない聞き取りをおこなったのだが、朝ごはんをごちそうしてもらうことになった。雲南料理の米干(米で作ったきしめんのようなもの)である。見た目以上に旨味の強い、はっきりとした味がする。以前も別の店で食べたことがあったが、この日の一杯は疲れた体に沁みるようなうまさだった。

ミャンマーやタイ、この地域の過去の話や歌についての話を聞いた後で、土地公に連れて行ってもらうことになった。土地公とは台湾でかなりメジャーな種類の神様であり、廟はめちゃくちゃ多いため、私は勝手にすぐ近所にあるものと思っていたのだが、目的地はなんと車で数十分くらいのめちゃくちゃ山の中にあった。藪に埋まりそうな細道をかっ飛ばす車の中で、千と千尋の「この車は四駆だぞ」のシーンを思い出していた。

 

到着すると、廟の前で踊りがはじまっていた。

インタビューに応じてくれた先生は午後から仕事があるということで、しばらく滞在してから戻ってしまった。感謝しきりである。後ろでは料理やテーブルを用意している様子で、踊りが終わると全員で準備する流れとなった。

 

この雲南打歌の協会は100人以上の会員がいるので、知らない人も多い。自分は例によってまごまごしていたのだが、みんなフレンドリーに話しかけてくれたため助かった。

木瓜絲(パパイヤの細く切ったやつ)、豌豆粉(エンドウ豆で作ったぷるぷるしたやつ)、打拋豬肉(ガパオ)、臘肉(干し肉)、スペアリブの煮込んだやつ、鶏肉、タイ米などなど。雲南料理は「口味很重」であるのが特徴である、と横に座ったおじさんが言っていた。酸味、辛み、塩気、いずれもしっかりしていて、脂っこいものも多い。なるほど米干もそうかもしれない。地理的にも近いことからタイ料理と近いものも多い。

 

ご飯を食べてまた踊りが始まる。自分もまたこの輪に加わって踊ったわけだが、ほどよい酩酊状態で円を描くように回るこの踊りに加わることは、妙に心地が良かった。

 

何もないような山の中にたたずむ廟の前で、異国情緒ある料理を腹いっぱい食べ、夢見心地の酩酊状態で踊ることは、今後の人生においてもそうそうないだろう。

 

そうこうしているうちにお開きとなる。帰りは理事長か誰かに乗せてもらうように言われていたのだが、理事長の親戚の新竹に住んでいるという人が連れて帰ってくれることになった。しかし、「別の店で飲むぞ!」と言われ、飲酒運転の車でさらに30分ほどのタイ料理の店にいくことに。彼は以前タイのメーサロンなどに住んでいたこともあるといい、タイ人の知り合いも多いという。

氷をいれたソーダ水にウイスキーを入れて飲むのがタイでは一般的だ、と彼は言いながらガンガン飲む。乾杯をすると空けるきまりなので自分も速いペースで飲むことになる。長年の友達だというタイ人の店主が料理をどんどん出しながら一緒に飲む。ほかにもタイ人が集まってきた。みんな基本的に中国語を話していたが、タイ語のカラオケが開始され、一気にタイになった。

 

結構辛みも強いエビ。あとは揚げた鶏皮、でかい鶏肉なども出てきた。どれもめちゃくちゃ美味しいのだがすでに腹いっぱいだったのでちょっとずつしか食べていない。タイ料理として出てきたものが、さきほど食べていた雲南料理と近いことを改めて感じた(むろんタイ料理のなかにもいろいろあるのだろうが)。

ガンガン酒を飲んでいたら、理事長の親戚は私にタクシーを用意して帰してくれたのだが、彼はまた飲酒運転で帰ったのだろうか。

 

タクシーで大学まで戻ると、現実に引き戻された。さっきまでの一日がまるで夢だったのではないかという気持ちになると同時に、吐き気、頭痛、疲労が一気に押し寄せてきた。

 

またビールの紹介

前回からだいぶ時間が空いてしまったというか、もう飽きてたというのはありますね。

 

anthf.hatenablog.jp

anthf.hatenablog.jp

 

日頃はだいたい台湾ビールを飲んでいる。安いので。しかし全然酔えない。

  • 臺虎

この9.9%のシリーズは全部99元。日本円は×4.5だと考えると445.5円くらいになる。普通に高いのでむやみに飲めない。

 

臺虎情聖多里尼

サントリーニ島をイメージしたであろうデザインと色遣いがかわいらしい。柑橘とワインの味がするのにビール。このシリーズの常だが本当になぜビールである必要があるのかわからない(後述)。

 

  • 極濃八生啤酒

68元(約306円)。極濃8パーセントということで、確かに飲みごたえのあるビールだったが普通に日本のビールでいい気はする。8パーでバカ酒感があるのは評価できる。わりと華やかな口当たりというか、それほどアルコールのきつさがなかった。

 

  • チェジュビール

チェジュ・ペロン・エール

写真が暗くてよくわからない。

 

台湾のコンビニは、韓国、日本、アメリカ、タイ、ベトナムなどのビールも置かれている。一般に韓国のビールはまずい。薄い。特にCASSとかはまずかった記憶がある。だが、台湾のコンビニで見かける韓国のビールは変わったクラフトビールなどが多い。

このチェジュビールはチェジュ島のクラフトビールらしい。こちらのペロンエールというほうは白ビールで、要はベルギービールっぽい。台湾では普通に買えるとはいえ、あまり飲む機会のないものではある。

 

チェジュ・ウィット・エール

これはチェジュ島の名産であるみかんの皮を使っているらしい。かなり上品な感じの味。台湾のコンビニのHi-Lifeというところが今(~3月7日まで)セールをやっており、チェジュビールはどちらも39元で買えた。定価は99元とかだったと思う。台湾ビールより安いので助かる。誰も買わないから定期的に値下げして在庫はけさせようとしているのだろうとは思う。事実、缶の上にホコリがめちゃくちゃついていた。

 

  • CISK

マルタのビールがスーパーで普通に売られていた。マルタはイタリアの先のほうの地中海に浮かぶ小国だが、なんでまたそんなところのビールがあるのか。マルタと中華民国は1972年に断交しているが、なにか政治的なあれがあるのかもしれない。

味は特筆すべきところはなかったように思うが、ドイツの安物ビールであるエッティンガーと近い。ストロングに関してはエッティンガーの同じようなやつよりおいしかった。どちらも確か60何元かだったはず。

 

オボローンビール

写真が暗すぎる。

 

これはウクライナのメーカー。キエフに工場があるらしい。ああいう状況にあるのに意外とちゃんと供給されているのだなと思った。しっかり香味のあるビールではあった。

 

  • ヴォルファス・エンゲルマン

 

これはIPAだが、APA、BLANCというのもある。89元(400.5円)。缶の上の部分にアルミホイルが被せてあるのも高級感があってよろしい。このメーカー、日本ではコストコ向けの安いやつが入ってきてるらしい。

リトアニアといえば、台湾と接近していることで注目されている。まあ、確実にこういう政治的背景とリンクしてビールの輸入もおこなわれているだろうなと思うのだが実際どうでしょうね。

www.asahi.com

 

  • 付記 酒税

実際、ビールよりチューハイが好きなのだが、台湾では酒税の関係上高いので全然飲んでない。

以下に酒税のあれをちょっと引用したい。

Q8:酒的稅負多少?
 A:菸酒稅法第8條規定,酒之應徵稅額如下:
(一)釀造酒類
  1. 啤酒:每公升徵收新臺幣26元。
  2. 他釀造酒:每公升按酒精成分每度徵收新臺幣7元。
(二)蒸餾酒類:每公升按酒精成分每度徵收新臺幣2.5元。
(三)再製酒類:酒精成分以容量計算超過20﹪者,每公升徵收新臺幣185元;酒精成分以容量計算在20﹪以下者,每公升按酒精成分每度徵收新臺幣7元。
(四)>料理酒:每公升徵收新臺幣9元。
(五)其他酒類:每公升按酒精成分每度徵收新臺幣7 元。
(六)酒精:每公升徵收新臺幣15元。

菸酒稅 -財政部臺北國稅局

ビールは1リットルあたり26元なのに対して、それ以外の醸造酒は1リットルあたり度数×7元。おそらくこれが臺虎の意味不明ビールを生み出す原因となっているとみて間違いないであろう。

また、日本のビールと発泡酒のカテゴライズと、台湾のそれとは異なるだろうし、日本だと発泡酒に分類されるようなものがビールになっているはずだ(臺虎なんかは特にそうだと思う)。そういう状況があって変態的なビール飲料が生まれる一方、台湾製のチューハイなどが全然見当たらないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雑記

日本から戻って来てもうしばらくたつ。まるで夢だったかのようだ。日本から戻ると1週間隔離された(台湾のコロナ対策は全般的にズレているとずっと思っている)。適当にやってもバレないのかもしれないが、大学にいろいろ言わないといけない関係できっちり守った。1人1室、風呂とトイレが共用じゃないところという謎の制約があるせいで、寮住みの自分はホテルを取る羽目になり、また数万円損した。

新北のホテルは、ハード面はよかったものの掃除がめちゃくちゃされてなさそうで、ややばっちいところだった。まああまり期待してはいなかったが日本のビジホと同水準の値段だったのでそりゃ怒りたくもなる。近くで牡蠣の料理を出す屋台があったので食べたせいかわからないが腹を下した。腹痛はあまりなかったのでストレスのせいかもしれない。

寮に戻ると、学生証で開くはずのドアが開かなかったりインターネット代を払ったのにアカウントを削除するとかいうメールが送ってきたりして大変だった(一応解決した)。この大学は留学生に対するサポートがひどい。帰国したらうちの大学の国際教育交流課にいろいろチクってやろうと思っている。

先週土曜、久しぶりに調査地に行き、例の踊りに参加してきた。お土産に、博多駅で買ったにわかせんぺいを配った。久しぶりに会うおばさまがたは相変わらず元気だった。これからちゃんと調査をしないといけないのだが、本当に気が重い。

最近は、3月1日までの英語の原稿をやっているが、それ以外には個人的なおべんきょうのために作っている英語論文の和訳、そしてときどき中国語の勉強をしている。あとは今年の3月までの助成金の報告書や会計のやつも作らないといけないかもしれないが、だるいのでまだ何も手を付けていない。苦しい。

寮の同室の人は、なんか春節前にどこかに消えたが荷物は置きっぱなしである。どうも寮を出るっぽいのだが、この状態で新しく入る人間が来たらどうなるんだろうと考えて勝手に不安になっている。

この寮は刑務所のようなところだ。別に作業とか規律があるわけではないが、山の上にあり固いベッドで寝させられプライバシーもない。家賃は安いが、熊野寮の倍以上の家賃に値するかというとそんなことはないと感じる。これはフィールドワークの常だが、早く帰りたいと思い続ける日々だ。

 

 

 

 

どんぐり

実家には、どんぐりの木がある。もう3メートルくらいの高さになり、毎年実がなっている。これは、小学1年の歓迎遠足で拾ったどんぐりである。つまり、自分の就学年数と樹齢がだいたい一致する。

長崎の原爆を生き抜いた、大きなどんぐりから落ちた実。小学1年の自分はたくさん持ち帰ってプランターに植え、いくつか芽が出た。長崎から佐世保の本家に引っ越した時にもちゃんと持ってきており、その後大きくなって庭に植えられた。

ちいさなどんぐりが立派な木になるまでの時間、自分はどれほど成長できただろうか。親戚たちと同じように、高校を出て地元の会社で就職し、一生を九州で終えたであろう自分だが、アラサーになっても親に金を入れることもできない、意味不明の院生になって、今国外にいる。

 

学者はだいたいが都会育ちか田舎の金持ちの出身なので(バカでかい偏見)、おおよそ田舎的世界に対しての嫌悪感や恐ろしさを知らず、勝手なロマン化をしがちだ。

田舎ではとにかくヒエラルキーの高い人間が一生勝ち続ける。家、金、権力、いろいろな要因があるが、一番わかりやすい指標は中学や高校でのポジションであり、やはり学校的世界は重要なポイントとなる。

校長や学校の先生という職業が必要以上に尊敬されるのも、ヤンキーが「どこ中や?」と言うのも、尾崎豊の歌詞がやけに学校にこだわるのも、先輩・後輩が一生つきまとうのも、そういうところだ。

田舎は教員もたいがいバカなので、ヤンキーの味方である。手のかかるガキほどかわいいからだ。ヤンキーは勉強ができるやつが嫌いだ。眼鏡を踏んだり、足が遅いやつをいじめたりする。勉強のできたガキは、誰の印象にも残らずに消えていく。地元に居場所はないから早く出ないといけない。田舎は、保守性と家父長制、男尊女卑などなど、昭和の延長が旧態依然古色蒼然としている。

 

だが一方で、都市の大卒の層はどうしているのか。こちらは逆に頭のいいガキが勝つので、田舎の意味不明高校の上よりも、はるかに頭のいいガキがたくさん挫折をしている。

大きくなれば大学マウント、年収マウント、そして子供ができればすぐに中学受験の話ばかりして、日能研やら鉄緑会やらに通わせ、早くもレースを始めさせる。

実際のところ、彼らは「新自由主義」的エリートとなり、やがてマチズモ的になり、自己責任論に傾倒する(まあ、田舎から来た叩き上げエリートも必要以上にそれに適応しようとするものだが)。

 

結論、どこもかしこも狂ったヒエラルキーや競争が存在している。博士課程や研究の世界は、一層苛烈だと言えるかもしれない。まずPublish or perishはアカデミア全体に言えることだ。院生に関しては、DCを取っているかどうかが評価以前に生存の問題になる。博士号にしても、「足の裏の米粒」だのなんだのではなく、今や学振PDや公募のための必須要件になっている。院生も学者の家の人間は多く、文化資本の歴然たる違いを感じることもある。そして謎の力()が働くこともしょっちゅうだ。結局カッペが学者になろうとしたのがいけなかったんですかね!という気持ちにもなる。

 

デラシネであるとまではいかないが、ふらふらしたままアラサーになった自分は、いまだに根を張り、立派になることは出来ていない。お池にはまってさあ大変状態ともいえる。

競争は加速する一方だ。すべての競争から逃げたい。あるいは、もう少し遅い世界になってほしい。どんぐりよりもおそらく先に枯れてしまうであろう自分だが、せめてなんらかの形で実を結びたいものだ。