もちもちした犬

おもに日記のようなものを書きます。

雲南の踊りと謎の小遊三

日曜日、桃園でおこなわれた「雲南打歌」促進協会の集まりに参加してきた。その会の代表をつとめている人とは1度だけ会ったことがあったのだが、たまたまその集まりがあるということを紹介されたので、詳細もよくわからないまま突撃したのであった。

 

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打歌とは、まあだいたいこんなものである。雲南省では少数民族ごとにいろいろな踊り、曲、歌詞があるが、ここでは特にどこの民族のもの、というのではなく、要素を組み合わせてやっているという。

国共内戦の結果、中華民国の実質的な支配地は、「台澎金馬(台湾本島・澎湖諸島・金門・馬祖列島)」となった。

中国南部の雲南省では、激しい戦いの末、国民党と軍属がタイ・ビルマの国境地域に撤退し、遊撃隊を組織して長年抵抗をつづけていた。彼ら「泰緬孤軍」の話は、台湾では『異域』という小説および映画(2まである)を通じて広く認知されている。彼らの主な資金源はケシ栽培であった。麻薬産地「ゴールデントライアングル」と台湾は、密接な関係にあったのだ。

高野秀行安田峰俊のルポで有名な、ケシ栽培の土地。ミャンマーのカチンやワなど、現在もドンパチやっているイメージも強い。この地域は、人類学では「ゾミア」としても知られる。

民国主導の台湾への引き上げは何度か行われた。そうした人々の多くが、桃園・龍岡にある忠貞新村に集住している。また、留学や労働者として自ら台湾に渡ってきた人も多い。この地域で生まれた世代は無国籍状態であるので、高額な偽造パスポートを購入して台湾に入り、新しく国籍を得るという方法を取らざるを得なかった。

さて、会の話に戻る。突然招待してもらったが知り合いもいないので、どぎまぎしながら会場に着いた。結婚式とかやるでかいホールである。受付でごにゃごにゃしていたが話がかみ合わない。「あんたもしかしてこっち?」と別の方向に連れていかれた。あやうく知らない人の結婚式?か宴会?に行くところだった。

座席表

「打歌」の集団や、同郷集団、店などいろいろなカテゴリーで席が割り振られている。

「あの、日本の院生で、その、会員じゃないんですけど…会長に招待してもらったので……」としどろもどろに話しかけていると、早口でまくしたてられるままに参加費を払い、手前の席に座らせてもらった。

国歌斉唱、会の役員、国民党の議員、市長などVIPの挨拶が続く。選挙を控えているだけに、民進党批判や凍蒜!(当選!)のコールアンドレスポンスも盛りあがる。

テーブルにはあらかじめビラや候補の広告つきの水やらマスクやらが置かれていたが、このあともどんどん増えた。

「実は、ここにいる人みんな蔡英文が嫌いなんだよ!」

横の席の好々爺が笑う。まあ、自分も別に緑陣営が大好きというわけではない。挨拶に立ったのは国民党ばかりだが、ビラは民衆党も多い。しかし、民進党の人も一応来ていた。

ひととおり挨拶が終わると、テーブルのむかいにいた小遊三似のおじさんがグァバジュースを注いでくれた。酒飲めるんか?と言われたので好きですと即答すると、グラスにワインを注ごうとしたので急いでジュースを飲みほした。「いやいや、混ぜて飲むのがええねん。ちょっとやってみてや」というので、それに従うと確かにめちゃくちゃ飲みやすい。グァバグァバ飲める、という具合だ(は?)。

雲南やタイ、ミャンマーの特色が混ざった料理がテーブルに並ぶ。写真を撮り忘れたのは痛いが、ブタの耳の和え物、タイ風味の排骨や海鮮、羊肉の炒め物、そして羊の睾丸(ぶたのキンタマだと思ったけどあとで調べたら羊っぽかった)など。

きんたま

羊の睾丸は鍋でぐつぐつにゆでられていたが、かなり柔らかい。白子と近くクリーミーな味わいだが臭みもまったくない。小遊三がどんどん進めてくるので4つくらい食べた。

席に人が増えてくるたびに、ビールなどお酒が注がれて一気に飲む。それを繰り返すうちにべろべろになってきた。

新しく座ってきた老人は、日本で働いていたということで流暢な日本語を話した。ほかにも日本語を話せる人は結構いて、少しびっくりした。

横の席のおじさんは、自分は雲南とは縁がないと話していたが、なんと大陳義胞であるという(大陳もまた、特殊な経緯で台湾に来た外省人集団のひとつである)。

そうこうしているうちに、くじ引きやらなんやらのレクリエーションがおこなわれ、最後に全員で打歌を踊ることに。民族衣装に着飾った女性に続いて、全員が列をなして会場をぐるぐると回る。見よう見まねでステップを踏んだが案外難しい。横のおばちゃんも「アイヤーよくわからん!」みたいなことを言っていたのでたぶんみんなよくわからないなりにやっていたんだと思う。

 

全然知り合いもいない状況で朝早くから電車に乗って来たが、案外よくしてもらえた。いろいろメモをとってきたものの、見返すともっと聞いておくべきだった、というポイントも多い。連絡先も聞けたりしたので、今後やっていきたい。

小遊三似のおじさんが帰ったあと、横の人に小遊三の名前を聞いたら「え?知らないな……」と言っていたので結構びっくりした。まあでかい会なので、そういうこともあるのだろう。