もちもちした犬

おもに日記のようなものを書きます。

日記と備忘録

日記を書いてなかった期間のことをとりあえず書いておく。自分のためのメモです。

 

9月13日(隔離の最終日)になり、突然「明日はホテルから大学まで車とってあるし、金は自腹でやれよ」と大学から連絡があった。明日はどのバスに乗ってどこまで電車に乗って……と計画を練っていたのにまさかのタクシーである。結構距離があるのに自腹ってさすがにどうなのと思ったが、むこうは厚意でやっているのだろう。ただ運賃は倍どころではない。それにそういうことは早く言ってほしいものだ。

 

翌14日朝、チェックアウトすると、同じホテルで隔離されていた交換留学生と一緒にバンに乗っていくことになっていたことがわかった。運賃は人数で割ることになり少し安心した。フランス人が2人、ロシア人が1人、インドネシア人が1人、そして自分である。フランス人のひとりは華人で、口語はとてもうまいように見えたが、読み書きはあまりできないと言っていた。ほかは英語がメインである。

正直寝ていたかったのだが、自分を挟んで両隣の人が人に話を振るタイプの会話好きで参った。英語が苦手なのもあるが、それ以前に会話が苦手である。みんな20ちょうどくらいの若者だったが、自分も若く見られていたらしく、年齢を言ったらびっくりされた。まあアジア人は若く見えるのだろう。しかし馬齢を重ねすぎた。

なんやかんや大学に到着すると、運転手が「どこに行けばええんや!」と言い出す。スマホを差し出しメールを見せると、スマホを奪って運転手がどこかに行ってしまった。

どうもその辺の人に聞きに行ったらしく、戻って来てスマホを返してくれた。そのまま発車したので解決したかと思いきや、停車し歩いている学生を捕まえ、「あんたこの寮の行き方はわかるか?道おしえてや なんならそのへんまで乗せていくし」という具合に、なんと助手席に学生を乗せて道案内をさせるのだった。ワイルド。その人も寮の学生だったのでまあよかったのだが、このまま寮の事務所みたいなところまで付き添ってくれたのはちょっと申し訳なかった。

その後、むこうの留学生担当のボランティア学生がやってきて、部屋の鍵や施設の案内をしてくれた。だたっ広いキャンパス内を案内してもらったが、めちゃくちゃ疲れた以外のことはあまり覚えていない。布団やなんやかんやを買ったり支払ったりを済ませ、部屋に戻る。同室は大陸からの学生で、今年から入ったM1らしかった。いい人そうでよかった。寮はけっこうばっちい。エアコンはプリペイドカードをさしてつかうようになっているのだが、2人部屋でこういうのにすると諍いの種になるのではないか。この大学は結構金があるらしいが、こういうところをケチらないでほしい。

また、部屋のネットに月200台湾ドルを取られるしくみらしいが、有線ランのみだったのでケーブルや変換プラグを後日買うことになった。Wi-Fiはない。案内してくれた学生は、スマホテザリングしてPCを使うと言っていた。これもケータイ文化の違いなのだろうか。自分は上限なしのプリペイドカードだから当面はそれで構わないが。

 

15日、とりあえず入れていた語学の授業に出席する。もともとこの大学の学部に入学していた日本人が中心のクラスでかなりのアウェー感。しかも、自分がとてつもない勘違いをしていたことが発覚した。HSK漢語水平考試、中国の中国語試験)のHPにあるCEFR対照表では、自分の持っているHSK5級はC1となっており、これを鵜吞みにして上級にしたのだが、TOCFL(華語文能力測驗、台湾のやつ)のHPを見るとHSK5級はCEFRのB1に当たるものだとされていた。もちろんここは台湾なのでこちらに準じており、自分は上級ではなく中級くらいというわけだ。

上がHSK、下がTOCFLのHPの対照表

実際、自分でもこんなのでC1なわけないよな~とは思っていたが、ここまで差があるとはね。が、とりあえず一番最初の授業だし最後まで出た。

まあ話している内容は6,7割くらいしかわからなかった。話すスピードが速すぎた。その場で応答するのも難しかった。中国語は某スパイ機関の少人数オンライン以外ほぼ独学なので、こういうのは慣れていないのである。厳しい。よって違う講義に変更する。

また、一応交換留学でも受け入れ教員というものがあるので、先生に連絡をしたのだが全然返事がこない。今日(19日)までに3通送っている。来る前には返事も来ていたのでメアドを弾かれているというわけではないと思うのだが……。HPにはオフィスアワーには事前にアポを取ってから来るようにとあるので、直接押しかけるのも遠慮していたがもうそろそろやばいので明日か明後日くらいに様子を見てくる必要がある。

夜にはとりあえず市の中心部まで歩いていき、何をするでもなく戻ってきた。大学の近所に調査対象にしようと思っていた廟があったのだが、ここがなんと臨時閉鎖していた。

なんとコロナで閉鎖している

こうなっては参与観察も聞き取りもかなり難しい。どうすっぺ。

 

16日は崎頂に行った。これはブログに書いた。

anthf.hatenablog.jp

17日は台北に行った。バスで行くと結構時間がかかる。感覚としてはちょうど京都から神戸くらい。ただ終バスも結構遅いようなので、案外遊びに行くのも悪くないのかもしれない。二二八紀念館や中正紀念堂を見たほか、国家図書館の利用者登録をした。あとは地下街や夜市を散策。この辺はまた別個ブログ記事を書いてもいいかもしれない。

 

18日。中壢と苗栗に行った。中壢から慈湖まで行こうと思っていたが、面倒になったのでやめた。勘で電車に乗って苗栗まで南下したが、何をするでもなく大型スーパーのカルフールで買い物をし、戻ってきた。佛跳墻の冷凍食品がありそそられたが、寮には冷蔵庫も食器もないのでやめた。

高鐡の苗栗は以前行ったことがあり、その近くの客家の円楼みたいな博物館がとてもよかったのを記憶している。しかし台鉄の苗栗の周辺は面白いものはとくになかった。たぶん5キロくらいは歩き回ったと思う。

あれだけの地震があったのに自分は全然気が付かなかった。アイラックからの安全確認やメールも来たためちょっとデカい地震があったのかなくらいには思っていたが、電車が1時間以上遅れていたことでようやくやばい地震だったのだなと認識する。友人や親などからも心配の連絡をもらっていた。SNS地震の様子を検索するとすごいことになっていた。

思えば台湾の建物は日本の比ではなくボロいものが多い。廃墟ビルが放置されていたり、ゴミ屋敷のようになった雑居ビルが火事になって大勢が死んだり、という事件も結構ある。自分の寮はさすがに揺れで三豊百貨店になるほどではないと思いたいが……。

 

19日。大学が義務として課している健康診断に行く。金をとられる。よくわからないなりにハイハイ言ってたら終わった。しかし手間である。別のキャンパスの図書館に行き、本を借りるなどした。明日は華語の授業を入れているが、終わったらどこか遠くに行きたい気持ちはある。